2012年5月17日 (木)

【第231回】 <よく生きる>

毎日、すべてが思うようにいくことはない。
できないことを何とかしようとすると、あせりが生じる。
できないことは頭でわかっても、割り切れない時には理屈をこねて正当化しようとする。
それが、日々の苦しみになってしまっているのかもしれません。
あせらず前向きにいきいきとしていくには・・・そのような中で
以前読んだもの中で、二つの言葉をふと思い出しました。

“成功への道は一直線ではない
 うまくいかなかった人ほど大器になる”
  あれをやっても、うまくいかなかった。
  これをやっても、うまくいかなかった。
  でも立ち直って生きている人は、とても謙虚で味があって、よい。
  大学受験から、就職まで、一本筋に光り輝いた道を歩いてきた人は、
  胸を張って威張る人ばかり・・・。
  いい出したら止まらず、我見ばかり通して、孤立する人が、多い。
  もちろん、すべてではない。
  人生、若いうちから、あまりうまくいかない方がいい。
  大器の人の人生は、例外なく、うまくいかなかったことの連続である。
  うまくいったり、うまくいかなかったり、川の流れのようにくねくね曲がりながら、
  生きていく方がいい・・・。

“いわなくていいことは口にしない
     ポジティブな言葉を選ぼう”
  朝から晩まで、できるだけ元気で明るい言葉を使っていれば、
  その一日の生活は、明るくなる。
  一日中、暗い言葉、悲しい言葉、さびしい言葉を使っていると、
  ものを見るにも、いつも悲観的になる。
  口にすれば、心に影響を与える。
  余計なことはいわず、事実を事実として受けとれば、楽しい言葉の人生になる。

誰もが“もっとよく生きたい”と願うもの。
よく生きるためにとる行動は、ひとそれぞれ違っていますが、
何か、ちょっとしたきっかけや、ちょっとした一言で、心がスーッと晴れることが多々あります。
私は、以上に載せた二つの言葉で、心が晴れ、何か新たな自分を発見できたような気持ちになり、また明日も頑張ろうという気持ちになりました。

時と場合にもよりますが、ちょっとしたことでも頑張れる気持になれることが誰にでもあるような気がします。

2012年5月10日 (木)

【第230回】 大予言

1月のある日大切にしていた安い万年筆が中程から割れました。
直して使おうと思い接着剤で修理してみましたがあまり使えそうになかったのでそっと棚の上に置いてあります。

私の家には随分前からいろんな物がたまっています。

レッスン室には最初ピアノとオルガンと楽譜棚しかなかったのですが、いまではCDやLD・DVD、仕事の物である音楽書で氾濫しています。
2階の書斎もそうです。
いつか読むと思われる本の山。収集した趣味の物がところ狭しと並んでいます。
最近自分のいる場所がとても狭いということに気がつきました。
そこで思い切って整理してみることにしました。いざ始めるとなかなか難しいものです。勿体ないという気持ちが出てなかなか捨てられないですね。これは何かの資料だから何時か役立つからいるんだとか、これは思い出の品だとか何か理由をつけてまた元の場所に置いてしまいます。
一年以上長く使わない物は思い切って捨てるかきちんと片づけたいものです。世間で言う断捨里を実行したいものです。

この気持ちをもってあたりを見回すと随分と見えてきます。学校の自分の机の上、教室の中、生徒達の部屋等々本当に今いるものなのかどうか疑問に思えてきます。私達の身体もダイエットして身軽になり動きやすくなるように廻りの場所もダイエットして動きやすくして次の事を始めたいものです。

ところで、最初の大予言はなんだったのでしょうか?

2012年5月 3日 (木)

【第229回】 「ジンザイ」の4タイプ

まずはじめに、このコラムを読もうとしてくれているあなた、ありがとう。

さてみなさん、ジンザイというと普通『人材』と書きますね。でもこのジンザイにもいろんなタイプのジンザイがあるそうです。

それは、

①  人罪(ジンザイ)
   罪な人と書きます。ルールやマナーを守らず人に迷惑をかけたり、人の悪口を
   いったり(書いたり)、人のやる気をなくさせたり、学校に苦情の電話がかか
   ってくるようなことをする人のことです。(なりたくないですね…。)

②  人在(ジンザイ)
   存在する人と書きます。周囲のマイナスにもならなければプラスにもならない
   という人。今のところそこにいるだけなんですが、これから何か行動を起こそ
   うとしている人のことです。(この人在、顔晴れ!)

③  人材(ジンザイ)
   材料となる人と書きます。知識や技術は優れているのですが、その人がいなく
   なっても、また同じ知識や技術を持った人がくれば何事もなかったように組織
   が回りだす。代わりがいる人のことです。(能力は高いのになんかもったいな
   いし、寂しいですね…。)

私には、この遊学館に3年間通い成長している生徒たちに、是非こういう風になって社会で活躍してもらいたい、目指してもらいたいという「ジンザイ」があります。

それが、

④  人財(ジンザイ)
   財産となる人と書きます。「君がいてくれたから、助かった!!」「君と一緒
   に仕事ができて本当に良かった!!」「君とやったから達成できた!!」と言
   ってもらえる人。代わりがいない人。

「人材」と「人財」の違いは、知能指数(IQ)の差ではなくココロの知能指数(EQというそうです)の差ではないでしょうか。

先日、遊学館の1年生対象にキャリア教育講話という講話があり、その中で最近、高卒や大卒で就職した後2~3年で仕事を辞めてしまう人が多いというお話がありました。その主な理由が、「仕事が合わないから」とか「思っていたのと違う」とか「職場での人間関係がうまくいかない」などだそうです。知識や技術が辞める理由ではないのです。

もちろん、知識や技術は大切です。ですが知能指数(IQ)だけでなく、ココロの知能指数(EQ)もおおいに必要なのではないかと感じます。実際、今の企業ではこのココロの知能指数(EQ)の高い人が求められているという話も聞いたことがあります。また、ココロの知能指数(EQ)がある人のところには、自然に知識や技術が身についていくのではないかと思います。

遊学館で、ココロの知能指数(EQ)を高め「人財」になろう♪

2012年4月26日 (木)

【第228回】 行き交う人々

 わたしが遊学館高校で教え始めてから丸3年が過ぎ、この四月から4年目にはいりました。卒業したK.H君がわたしの着任早々に付けた某フライドチキンチェーンの創始者の名前は、今年の生徒たちにも引き継がれ、今も「フライドチキンちょうだい。」と言われることが時々あります。わたしがいつものように困った表情になると生徒たちは嬉しそうに笑って立ち去ります。

 さてこの3年間の間にわたしがほぼ毎日欠かさず続けていることがあります。今回はそれについてお話しようと思います。

 わたしの住まいは金沢市の郊外にあります。山を越えれば富山県という田舎です。わたしはそこから車で市内に行くのですが、実は学校までは行かずに、途中の駐車場に車を置いて、そこから歩くのです。7時ごろに歩き始め、途中の休みを含め、約1時間半かけて学校にたどり着きます。雨の日にはズボンも靴もずぶぬれになることもあります。暑い日には汗だくになることもあります。時には辛くてバスに乗ろうかと思うこともありますが、車で通勤する場合には得られないことが多くあり、そのため歩くことを続けているのです。

 7時に歩き始めてしばらくするとマラソン人のSさんと出会います。東京マラソンに毎年出ている人です。最初のバス停では遊学館高校に勤める前から顔見知りの人と挨拶を交わします。次のバス停に行く前に昔の知り合いと顔を合わせることもあります。わたしが生まれ育った町内の人です。1箇所寄り道をした後再びバス通りに戻り、2番目のバス停で某私立高校の先生と言葉を交わします。次に挨拶をするのは2つのお店の人たちです。まず呉服屋さんのHさんですが、遊学館に娘さんが通っていることを3年前に初めて知りました。それまでも朝の挨拶を交わしていたのですが、わたしが本校に勤務先が変わったことを知り、そのことを教えてくれたのです。次いで魚屋さんのOさんです。御主人も奥さんも、いつも必ず、「行ってらっしゃい。」と元気付けてくれます。
 さて昨年は3つ目のバス停に着くころに後ろから「お早うございます。」という声をかけられることがありました。サッカー部のH君かK君でした。H君は、1年の時にこっぴどく叱ったのですが、それを根に持つことなく、きちんと挨拶してくれました。4つ目のバス停に向かう途中の横断歩道では交通安全指導員のYさんに挨拶をします。彼とはボランティア大学の観光コースでの受講生仲間でした。さらにしばらく行くと、Kさんと会います。もう退職し、健康のために朝の散歩をされているそうです。わたしと2,3語の言葉を交わすためにわざわざ足を止めたり、時には通りの向こうから横断歩道を渡ってきてくれたりします。
 昨年は浅野川大橋を渡るころ、「先生、お早うございます。」と二人の女子バレー部の生徒が追い越して行きました。また交差点で、全く授業を担当していない生徒と隣りあわせで信号待ちをすることもありましたが、きちんと挨拶をしてくれ、「気をつけて行けよ。」と言うと、「はい。」と元気な声が返ってきました。
 交差点を過ぎてからはしばらくバス通りから離れます。白鳥路に入る手前のタオル屋さんではそこの女主人らしき人や配送担当の人と挨拶を交わします。
 白鳥路にはトイレと休憩所があり、そこで一休みします。掃除担当のおばさんたちと天気状況などを話しているうちに中学生たちが通り過ぎて行きます。わたしも腰を上げて学校へ向かいます。途中では金沢の三文豪を始め、いくつかの彫像たちがわたしたちを見守ってくれています。春には桜が、夏には蝉が、秋には紅葉が季節を教えてくれます。
 白鳥路を抜けると再びバス通りです。何人もの生徒たちが自転車でわたしを追い越して行きます。大体は黙々と、ときどき何人かは「お早うございます。」とわたしに声をかけて学校へ急ぎます。わたしはゆっくりと行きます。昨年の春から途中の神社で手を合わせ、東北の人たちに早く笑顔が戻ってくることを祈ります。バス通学の生徒たちもわたしを追い越して行きます。「お早う。」と言う回数がどんどん多くなり、やがて学校に到着です。

 こうしてあらためて考えてみると、わたしは朝だけでもなんと多くの人々に出会っているのか、と驚くばかりです。車に乗って、点から点へと移動している限り、こんなに多くの人々と接することは不可能です。わたしが有難く思うのは、それらの人々がわたしの挨拶に応じてくれることで、わたしは自分の存在=自分が生きていることを確認できるということです。それがわたしにこれからも生きていく元気を与えてくれているのです。もちろん生徒たちの「お早うございます。」に一番元気付けられるのは言うまでもありません。今後も体力のある限り歩き続けようと思っています。

2012年4月19日 (木)

【第228回】 命の絆

 少し前の話になりますが、皆さん、「今年の漢字」を覚えていますか?毎年、日本漢字能力検定協会が年末に発表している、その年の世相を表す一字です。2011年度の一文字に選ばれたのは『絆』でした。「今年の漢字」は公募であり、発表の前、一か月間ほど全国に応募箱が設置されるのですが(他にはハガキやFAX、ホームページからの応募も可能です)2011年は、私自身も京都タワーの応募箱から投票してきました。『絆』すなわち「きずな」=“人と人とを離れがたくしているもの、断つことのできない結びつき”です。大きな災害を経て改めて人と人とのつながりの大切さを知るということで、この『絆』という漢字は「今年の漢字」となる前から注目されていました。
 ところで、『絆』には訓で「きずな」以外に「ほだし」とも読みます。「ほだし」・「ほだす」とは、“自由に動けないように手かせや足かせ”、“人の自由を束縛する”ということです。「情にほだされて」などと言いますが、これも「人情にひかれて自由に行動することの障害となる」ということです。この意味から『絆』とは原義は牛や馬、人など自由を奪って繋いでおく枷(かせ)や障害のことで、離れがたいもの⇒つながりの意味から、今日我々が「きずな」としているニュアンスとして成ったものなのでしょう。
 この話をすると、「え、じゃあ『絆』ってホントは悪い意味なの?」と言われるのですが、別に『絆』の漢字が、いい意味だとか悪い意味だとかそういうことを議論しようというのではありません。ただ、私はこの「ほだし」をちょっと変わった風にとらえることにしています。先に「ほだし」は自由を奪う枷(かせ)や障害のことであると述べましたが、その枷(かせ)というのが、人をこの世にとどめるための枷だと考えたら――どうでしょうか?強い想いや思い出という心のつながりで大切な人を繋げて、絡めて、この世に結びつけておく枷(かせ)です。昔から、未練や妄執は往生の妨げとされてきましたから、原義通り、その枷は往生には邪魔なものかもしれません。それでも、大切な人にほど生きていてほしいと思うものです。生きていてほしい。だから、その人をこの世につないでおく「ほだし」をつけるのです。こういう風に考えると、そんな枷(かせ)ならあってもいいんじゃないかなあと、あちらこちらで目にする『絆』という字を眺めながら、物思いにふけることがあります。
 2012年が始まってから、早三か月以上が経ちました。しかし、このたった三か月で、自らの手で命を絶った人が全国で既に7000人以上います。
 その一人一人に、この世のほだしがあったなら――。
 自殺の訃報を受ける度にいつもそう思うのです。
 私が、あなたが、大切な人たちの命の『絆』=「きずな・ほだし」でありますように。失ってからでは遅いから。いつもいつも、そう願っています。

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